片岡義男 480件 人気順 新着順 ハロー・グッドバイ 片岡義男 20歳の姉と16歳の妹。 妹は、生まれ育った札幌から金沢に引っ越すにあたり 思い出として、少女を終える=処女を捨てることに固執する。 脱処女には賛成ながら、その大事な機会を監視したいと願う姉は 妹がつまらぬ男にひっかからないように、 自分の自慢の恋人を差し向けたのだが・・・・・・ ティーン向けレーベルのために書かれながら ビターな後味を残す、大人の少女小説。 275円 縛り首の木 片岡義男 狂った青空の下、ひたすら長く延びるカントリー・ロードを行く。 茫漠と広がる大地ばかりが取り囲み、やがて足を踏み入れた ゴーストタウンに、小説の後半、大木と1組の夫婦が現れる。 1本の木を介して、死がすぐそこにあった時代。 死は、子供たちの手の先、いや、首の周りにあった。縛り首の木のすぐ傍のブランコみたいに。 アメリカの昔と今を貫通する死の光芒。 275円 ハンバーガーの土曜日 片岡義男 弱冠21歳の若き私立探偵アーロン・マッケルウェイ。 ガン・ベルトを携えた、保安官さながらのいでたちで 彼は人々のさまざまな依頼に応える。 この短編でマッケルウェイに与えられた使命は 白血病で自らの命を経った女性からの伝言を伝えること。 しかし伝えるべきその相手もまた、悲しい運命にあった。 心優しきマッケルウェイが共有するのは 共に味わう冷えたハンバーガーだけだ。 275円 ひどい雨が降ってきた 片岡義男 人物の性質ではなく、人と人との関係が日々を形成する。 大学生、という浮遊感に満ちた時間の中で、 オートバイが2人の男を関係付ける。 女がやってくる。2人が3人になり、奇妙に安定した三角関係に入る。 しかし時間は止らない。3人が4人になり、5人になり バランスこそが生命である関係が危うくなる。 ついに崩壊が来る。そこにもオートバイがあった。 しかしその崩壊すら、終わりではない。 カタルシスなきアンチクライマックス。 275円 ブラドレーのグランプリ 片岡義男 映画の撮影のために、スタント・ドライヴァーが召還される。 男の名はトリッシュ・ブラドレー。黒人だ。 映画監督も撮影監督も彼に絶大な信頼を寄せ、 彼もまた、終始、余裕の笑みを絶やすことなく 危険なシーンをこなしていく。 過去に追った傷が、ブラドレーにこの職業を選ばせているが その屈託が仕事に影を落とすことはない。 ドラマを作るための失敗も葛藤もない 完璧なアンチクライマックス・ノヴェル。 275円 星の涙 片岡義男 梅雨前線が停滞している日本列島。 多くの人々がうっとうしさしか感じない季節に 「雨が大好きだから」という女と 「ぼくもそんなに嫌いじゃない」男がめぐり合う。 ヒマで時間のたっぷりある同行二人は、モーテルの中で会話を重ねていく。 現実世界の重力から開放された男女が 空から降ってくる「星の涙」の下を軽やかにすべる、 その道中を共にするのはもちろん「スカイライン」だ。 275円 ボビーに首ったけ 片岡義男 この小説は、「ボビーに首ったけ」と「ボビーが首ったけ」でできている。 前者は、なぜかボビーと呼ばれている高校3年の男子に 会ったこともないのに手紙をよこし、数回のやりとりのあと 喜びを膨らませている同い年の少女。 後者は、ボビーがストレートな情熱を傾けているもの、つまりサーフィンだ。 18歳の夏、手紙から一歩、踏み出す計画を立てる2人。 そしてボビーは、そろそろ自分のサーフボードを手に入れる頃合いだ。 邪なところは少しもない青春の欲求を さて運命は、どのように取り扱うのか――。 275円 ミス・リグビーの幸福 片岡義男 21歳の若き私立探偵アーロン・マッケルウェイ・シリーズの一編。 世間から見れば、何不自由ない生活をしているように見える女性の 突発的な悲劇が新聞記事になり、その記事を手にした女性が アーロンに仕事を依頼する。 彼女は記事に出ている女性と同年齢、仕事も同じだった。 アーロンが調査の途中で依頼主である彼女に電話をしたら・・・・・・ 彼女もまた、記事の女性と同じ行為に自ら突き進んでいた。 275円 ミッドナイト・ママ 片岡義男 女が年上で、男がまだ女性を知らないなら、こんなふうに出会ってしまえばいい。 これは、最強のご都合主義に貫かれた一編だ。 オートバイで走っていたら、風呂上りの豊満な女と出くわし、 向こうから追いかけてくる。 飲んでも食べても支払いは女、喧嘩に巻き込まれてもあっさり勝ち、 そして少し甘えたような、初めての経験。 まさしくママの振る舞いだ。 真夜中のママこそが、世の少年をこうして正しく教育する。 275円 ムーヴィン・オン 片岡義男 21歳の私立探偵アーロン・マッケルウェイ・シリーズの一編。 今回のマッケルウェイは、パトロールマンから ヒッチハイカーの老婦人を乗せてやってくれと頼まれる。 老齢でありながらヒッチハイクで長距離を移動しようと試みる彼女は やはり並の女性ではなく、今は亡き伝説のカントリー・シンガーの 恋人だったことが判明する。 道中、細心の敬意を払いつつ、昔語りに耳を傾けるマッケルウェイ。 そしてその彼女の話から、単なる昔日の回顧ではなく、 現在をムーヴィン・オンする力そのものであることを学ぶ。 275円 麦畑に放りだされて 片岡義男 はるかカナダにまで続く、気の遠くなるような面積の麦畑。 熟練の腕を持つ指揮官の下、麦刈り隊に加わった青年は 恐怖すら感じさせる、そして官能のゆらめきをたたえた 麦畑の法外な物量の中で、かつてない身体の開放と 地球と自分の体が一つになった感覚を獲得する。 麦畑と一緒に在ると、風はひときわよく目で観察することができ、 火はあまりに獰猛で俊敏に動く。 そこにむきだしの、プリミティヴな人間の動きが接する。 この純度の高さこそが、労働というものだ。 275円 胸に輝く星 片岡義男 ユーモアと余裕に満ちた楽しい一編。 主人公は、保安官のガーランド・デューセンベリー。 彼が日々相手にしているのは、 半熟卵が注文どおりに作れないからと妻を散弾銃で射殺したり、 未婚にもかかわらず「浮気している夫を逮捕してほしい」と訴えてきたり、 酔うと必ず酒場でストリップをして、あげく家まで送り届けなければならないようなデタラメな連中ばかり。 しかし彼はジョークのようでもあり、シリアスでもあるそれらの馬鹿馬鹿しい事件を的確に、すばやく、こなしていく。 西部劇スター崩れの完璧に整えられた服装とともに。 275円 森から出てこなかった男 片岡義男 片岡義男の作品の中にはしばしば、北米大陸の自然を相手に 文明を最小限に切り詰め、自給自足の生活をおくる人々が現れる。 これもまさしくその系譜につらなる短編だ。 ティーンエージャーの頃から、シエラ・ネヴァダの大自然こそ 自分が身を置くべき場所だという天啓を得て、14年の歳月を過ごし、 その後、アラスカに移動して志を同じくする仲間たちと 山荘を作った男がこの小説の主人公だ。そこにはおそらく ヘンリー・デヴィッド・ソローや、シエラ・ネヴァダの大自然を 守ることに一生をかけたジョン・ミューアの魂がこだましている。 275円 モンスター・ライド 片岡義男 人口わずか1800人の小さな町・ウィリアムズ。 そこにある日、数百人規模のモーターサイクリストたちが終結する。 ただならぬエンジン音。見慣れぬ男たち。 平穏な町にとっての異常事態に、警察も非常体制を取る。 しかし、彼ら彼女らの目的はただ一つ。 敬愛するライダー、モンスター・ジョーの葬儀を心をこめて執り行うことだけだ。 葬儀の際の、静けさと爆音。静と動の鮮やかな交代劇。 町に大きな刻印を残したかに見えた轟音もライダーたちも やがて空気のように去っていく。 275円 ロディオ・バム 片岡義男 ロディオ・バム(Rodeo Bum)のBumとは、 浮浪者や怠け者、ルンペン、無能の者、といった意味。 ブロンク・ライダーと呼ばれる一人の男の中には ロディオがもたらす熱狂、すなわちどこか人間をダメにしてしまう要素と ロディオがスポーツになっていく過程でそぎ落ちた、 ロディオのルーツに係わる何ものかが残っているようだ。 だから、大会のためやってきた数百人のライダーたちが町を後にしても 彼はまだ酒場で飲んでいる、一人のlooser(負け犬)として。 ようやくその彼も町を去る時、取り残される白のサンダーバードがあまりに美しい。 275円 階段を駆け上がる 片岡義男 名手、片岡義男が夏の時間の流れと、男女の再会を描く極上の7編。「階段を駆け上がっていった」を除く6編は書き下ろしです。 1,650円 真夜中のセロリの茎 片岡義男 人と人が会えば、それが夏であれば、物語が生まれ、人生が動き出す。再会から始まる7つのストーリー。 1,650円 木曜日を左に曲がる 片岡義男 主人公はすべて女性。キリリと生きる魅力溢れる女性たち、そしてその傍らには男性。ふとした出会いや記憶から、紡ぎ出される物語。すべて書き下ろしの短編全7編収録。 1,650円 日本語の外へ(上) 片岡義男 Saddam is still playing fun and games with the U.S.A. and not taking the U.S. seriously.(サダムはアメリカを相手にふざけた態度を取り続けています。アメリカの言うことを真剣に受けとめようとはしていないのです。)これは14年前のパパ・ブッシュの演説。アメリカのテレビのニュース番組だけで湾岸戦争を追うという著者の試みを今読み直すと、アメリカの輪郭とそこに映る日本の姿がはっきり浮かんでくる。ことばの海から現代を見つめる視点をピックアップする長編エッセイ。 550円 日本語の外へ(下) 片岡義男 アメリカ的なものを支えているのは英語だ。センテンスを積み重ね、パラグラフを積み重ねていく英語は、積極的な提案の性能や改革の意志をはじめから内蔵している。そして主張の正しさを証明するのは抽象的な客観性だ。I と YOU はそのような関係にある。「私」は I ではない。YOU と向き合える「私」などないのだから。それでは日本語で生きている私たちはどのような関係を前提にしているのか? 英語と日本語というそれぞれの母国語の性能への洞察から世界認識のありかた問う思考の書。 550円 1 ... 212223 24 TOP 電子書籍(本・小説) 片岡義男 24ページ目