近代日本言語史再考 V――ことばのとらえ方をめぐって

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あらすじ

日本において「国語」はあって当然のようにみなされてきた。しかし、多言語社会日本を考える際には、こうした考え方を相対化し、より柔軟な多言語へのまなざしを見出していく必要がある。つまりは、「国語」からはみえないものへの視線をとりだすことが必要とされる。
なにかを「とらえる」ということは、意志的なものであり、みたくないものはみない、みたいものだけをみる、ということだ。本書は、歴史的に「みえない」ものとされた、そして現在も日本社会で「みえない」ものとされていることばたちを念頭におき、「みる」側の構図をえがきだす。

[目次]

はしがき xv

序章 「国語」からみえるもの / みえないもの 1
1 はじめに 1
2 国語ということば 2
3 国語と国家と政策と―国語調査委員会 6
4 国語政策と方言、そして多言語性 8
5 日本語政策 12
6 おわりに―多言語へのまなざし 16
注 17

第一章 ことばをどのようにみようとしてきたのか―近代日本における「言語学」の誕生 19
1 はじめに 19
2 「博言学」ということば 23
3 帝国大学言語学 38
4 比較言語学への懐疑 48
5 まとめにかえて―日本言語学のもうひとつの形 56

第二章 「言文一致」がみえなくすること─作文・日記・自伝 67
1 はじめに 67
2 日記をつけることは伝統か 71
3 作文教育のあり方 74
4 作文教育の延長としての日記 85
5 日記教育の事例―南弘の娘の日記 89
6 おわりに 95

第三章 虐殺とことば―関東大震災時朝鮮人虐殺と「一五円五〇銭」をめぐって 103
1 はじめに 103
2 証言のなかの「一五円五〇銭」 113
3 壺井繁治「十五円五十銭」をめぐって 121
4 おわりに―あらたな流言に対処するために 129

第四章 となりの朝鮮文字 141
1 はじめに 141
2 関東大震災と朝鮮文字 146
3 男子普通選挙と朝鮮語・朝鮮文字 152
4 おわりに 158

第五章 朝鮮人の言語使用はどうみえたか―村上広之の議論を中心に 163
1 はじめに 163
2 村上広之という人物 167
3 村上広之の論理 179
4 おわりに 188

第六章 「ひとつのことば」への道からみえるもの―斎藤秀一編『文字と言語』をめぐって 201
1 はじめに―復刻にあたって 201
2 方言の問題について 215
3 斎藤秀一の言語観―唯物論言語理論の影響 228
4 中国のローマ字運動への関心 246
5 斎藤秀一の情報網 284
6 おわりに 286

第七章 「ことのはのくすし」は何をみていたのか―陸軍軍医監・下瀬謙太郎をめぐって 307
1 はじめに 307
2 下瀬謙太郎略歴 311
3 中国と医学 318
4 言語問題の前線へ 326
5 中国の文字改革への興味 331
6 医学用語統一への道 351
7 おわりに 371

第八章 漢字廃止論の背景にみえるもの―敗戦直後の労働争議とからめて 391
1 はじめに―敗戦直後の漢字問題 391
2 「漢字を廃止せよ」と『読売報知』 396
3 「漢字を廃止せよ」の内容 400
4 「漢字を廃止せよ」のゆくえ 409

第九章 スターリン言語学からみえるもの―民主主義科学者協議会編『言語問題と民族問題』をめぐって 419
1 はじめに 419
2 スターリン「言語学におけるマルクス主義について」 421
3 模倣されるスターリン 440
4 おわりに 452

終章 「やさしい日本語」がみおとしているもの 465
1 はじめに―社会変動と言語 465
2 語られない多言語社会 470
3 「やさしい日本語」は使われるのか 479
4 おわりにかえて 484

あとがき―初出一覧 489