迫害され異端とされた歴史学者、津田左右吉、岡田英弘に捧げる! 異端の日本古代史

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あらすじ

日本人であれば、中学校と高校時代では日本史というのは必須で、少しは関心もあっただろうし、よく勉強もしていたであろう。例えば、学校では八世紀には大和王朝が編纂した『古事記』と『日本書記』(記紀と呼ぶ)という立派な史書が日本では既に生まれていたと教えられ、これらで歴史教科書の初期日本古代史については述べられているが「大化の改新:645年」の年代は「蒸しご飯食べて、大化の改新だ」などと語呂合わせで一生懸命に年代を覚えた方も多いはずである。
ですから、日本人のほとんどは「記紀」を史書と信じて疑う事はなく、現在まで最高学府の大学や大学院においても「記紀」を中心に日本古代史学は行われている。
ところが、戦前戦中を生きた歴史学者・故津田左右吉氏は「記紀」について「第十五代応神天皇よりも前の天皇は系譜も含めて政治的目的による造作の所産であり物語として展開していったもので史実としての資料的価値は全くない」と戦前でもあったことから控えめであるが「記紀」は物語の類と暗に述べて批判した。
又、戦後には東洋史学者である故岡田英弘氏は「歴史学の基本、使えるのはヘロドトスに始まるヨーロッパ史と司馬遷らに始まる中国史だけである。その他の地域は無いに等しい」、また、後代に成立した日本の「記紀」ついて「倭人の活動が書かれている部分は皆、ずっと後世になって創りだされた、架空である。これらを使うのはむだな作業だ」と述べて「記紀」は史書たり得ないと述べていたのだ。
そして、現在までに判明していることは、事実、『史記』以降の古代中国史料であるが記述の事象(年代や人物、出来事など)は考古学の成果とほとんど一致もして史書たりえるのだが、残念であるが、現在まで「記紀」の記述を傍証する考古学の成果はほぼ皆無であり、「記紀」は史書としてはかなり劣悪で、近代以降の論理的で科学的な学問分野では物語の分野でもあったのだ。
ですから、従来の日本古代史とは全く異なる本書を読んでいただければ、必ずや真実の古代日本の面白さも判っていただけるはずで、そして現在までの日本古代史の見直しも必要であることを少しは理解していただけるはずである。