日本二千六百年史 新版

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あらすじ

著者について
昭和戦前の国民に多大な影響を与えた思想家。明治19年、山形県酒田市生まれ。荘内中学(石原莞爾らを輩出)、熊本第五高等学校を経て東京帝国大学に入学、インド哲学を専攻。卒業後、拓殖大学教授などを務める一方、アジア解放・国家改造の実践に奔走、軍部に接近し、革新将校との結びつきを強めた。昭和7年、五・一五事件に連座し禁固五年の有罪判決を受けるも、この五年に及ぶ服役中に大著『近世欧羅巴植民史』を著す。昭和12年に出所すると、すでに勃発していた日中戦争から、さらに日米戦争へと突き進まんとする国家的気運の中で、アジア主義・日本精神復興を軸とする言論活動を精力的に展開、同14年にその集大成として『日本二千六百年史』を上梓するや、同書は官憲の弾圧を受けつつも、たちまち四十万部を売り尽くす大ベストセラーとなる。また日米開戦のへき頭、NHKラジオで連続十二回演説し、国民・将兵の士気を鼓舞するなどした。このため戦後、日本思想界の象徴とみなされ民間人ながら東条元首相らと共にA級戦犯に指定されたが、精神疾患を理由に免訴、釈放された。その後、コーラン全文の翻訳に傾注し、完結。晩年は農村復興運動などにも従事、昭和32年、七十一歳で死去。「小夜嵐、よもの落葉は、埋づむとも、わが行く道は、知る人ぞ知る」の辞世を残した。