三島由紀夫「最後の1400日」

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あらすじ

三島由紀夫先生が陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地(現防衛省)で憲法改正を訴え、自刃してから早くも五〇年の歳月が流れた。巷では、未だ憲法改正へのアレルギーは払拭されないものの、海外の情報がますます身近なものになり、中国の軍備増強や北朝鮮による核兵器の脅威などもあって、国民の自衛隊に対する意識にも変化が現われつつある。
私がここで想起するのは、先生の死後も憲法を改正せんとする人々は脈々と生き続けていた、ということである。事実、自民党は「戦後レジームからの脱却が必要」だとしてそれまでの党内論争を乗り越え、すでに天皇元首化や自衛隊を明記した「憲法試案」を発表している。それは三島先生が構想した「三島憲法」に比べ中途半端なものとはいえ、まさに三島先生が最後に憤死してまで訴えた「憲法改正」が、先生の死から半世紀を経て、プログラムに乗りはじめようとしているのである。
当時、まだ学生だった私が三島先生にはじめて会ったのは事件の三年前のことであった。以来、年齢の差こそあれ、先生と私は志を同じくする者として認め合い、訓練をともにし、日本の未来を真剣に語り合ってきた。先生との三年足らずの交流は私自身の、ともすればあきらめがちになっていた真の祖国再建への夢に可能性の灯をともすことになったのである。
顧みればいくつかの兆候を捉えながら、先生の決起を私はついに予測し得なかった。決起の報に触れたとき、私は市ヶ谷に駆けつけたが、そこで自分が何をしようか、何をなすべきかを決意するに至らなかった。無論、私は先生が割腹自決を遂げた事実を前に、ともに死を迎えることができなかった痛みを感じていた。私が死することなく、今に生き永らえることになったのは、たまたま先生の自刃の瞬間に立ち会わせてもらえなかったから、ということかもしれない。
三島由紀夫は私にとっては文学者ではなく人生の師であり、国のあり方を追求する思想家であった。今、五〇年経って明かす真実によって、私は先生との約束を果たしたいと望んでいる。(本書「はじめに」より)