人生を好転させるチャンスメーカーの思考
あらすじ
人生を諦めていた元高校球児が
年商45億円企業の経営者に上り詰めるまでの
変革と挑戦の軌跡
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「チャンスはいつでもどこでも平等にやってくる。
見えないチャンスをつかむのは、求める人だけに与えられる特権である」
これは、パナソニックを創業し世界的企業へと成長させた松下幸之助の言葉です。
チャンスはむこうからやってくるのを待つものではなく、限られたチャンスに気づき、
それをつかむための努力をした人だけが得られるものであるということを示しています。
仕事や人生においてさまざまな目標を掲げながらも、なかなか達成できずにいる人は大勢います。
さらにはおかれている環境や他人のせいにして努力を怠り、現状に甘んじてなんのリスクも冒さず、
そのあげく自分には成功をつかむチャンスが訪れなかったと諦めてしまう人も少なくありません。
しかし松下幸之助の言葉のとおり、チャンスは訪れるものではなく、つかむものだと著者は言います。
「幸運の女神には前髪しかない」という言葉があるように、
やってきたそのときにつかまなくてはなりません。
チャンスが来てから努力するのではなく、来る前の努力が成功を左右するのです。
著者は現在、和歌山県にある父が創業した防災関連の会社の2代目社長を務めています。
今でこそグループの売上は45億円、経常利益7億円を超え、経営も安定していますが、
著者自身も過去にチャンスが来なかったと嘆き、人生を諦めかけた人間です。
それは著者が高校時代の頃です。名門PL学園の野球部で、
当時自分は将来プロ野球選手になるのだと確信していましたが、
高校3年間で著しい結果を残すことができず、あえなく夢は潰えました。
しかし、そのときはケガのせいにしたり、野球部の環境のせいにしたりして、
嘆くだけで終わってしまったのです。
その後、高校を卒業した著者は父の会社に入社し、出向先の建築設備工事の現場で働き出しました。
周囲には「社長の息子」と色眼鏡で見てくる社員もいました。
いつか見返してやりたい気持ちもありましたが、
野球生活を満足いく形で終えることのできなかった著者は
特に自分を変えることなく惰性の毎日を送る日々でした。
そんな著者に転機が訪れたのは27歳のときです。
出向先の現場の所長から会社のお金回りの流れについて学ぶ機会があり、
著者はそこで初めて自社の経営がいかにずさんであるかを知りました。
赤字経営が深刻化しており、倒産するのは時間の問題であることに気づいたのです。
将来が一気に真っ暗になった瞬間でもありました。
同時に、高校時代に夢を諦めてしまったことを思い出し、このままではいけない、
会社を立て直して自分が二代目社長になって事業を成功させたいと、強い気持ちが芽生えたのです。
それからは自分としっかり向き合い、課題を見つけては自分自身をチェンジさせ、
新たな可能性にチャレンジすることでチャンスをつかむことができると信じ、
経営改善に取り組みました。
また、そうすることでやってきたチャンスをつかむだけでなく、
新たなチャンスを生み出すこともできると考えていたのです。
当初は何もできない社長の息子と見ていた社員も、そんな少しずつ変わる著者を見て
経営改善の意見を聞いてくれるようになりました。
それからは、業務効率化や実力主義の導入を図るなど、
真っ当な会社に変えるために社内改革を断行しました。
壁にぶつかるときもありましたが、そのたびにチェンジとチャレンジを繰
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