壇上の大川周明

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あらすじ

昭和十六年十二月八日、日本軍の真珠湾攻撃により日米戦争の火蓋が切られると、大川周明は直ちにラジオ放送を通じて全国民の決起を呼びかけた。十二月十四日から二十五日まで連日十二回にわたって行われた彼のラジオ演説(本書第二章)は、間もなく『米英東亜侵略史』という単行本として出版され、ベストセラーとなった。彼はここに名実ともに日本を代表する論客の一人となったのである。
大川は二十七歳のときイギリス人コットンの書いた『新インド』という本を読み、全身が打ちひしがれるような衝撃に襲われた。そこに記されているのは、イギリスのインド支配の恐るべき実態だった。著者のコットン自身がイギリスの高級官僚として、長年植民地支配に携わってきただけに、彼の暴いたインド人民の惨状は微に入り細にわたっていた。宗教学を専攻し、インド哲学に沈潜していた大川にとって、心のふるさとであるインドがイギリスに蹂躙され辱められているそのさまは、戦慄すべきものであり、イギリスへの怒りがこみあげてきた。アジアからイギリスの勢力を一掃し、アジア諸国の大同団結による「アジア人のアジア」を実現する。これこそがまさに、大川周明が青年期から一貫して抱き続けてきた信念であり、ライフワークであった。
戦後の大川は敗戦の祖国の復興に向けて、旧にも倍する精力的な執筆活動に邁進した。その驚異的な語学力を駆使してコーランの翻訳に取り組み、昭和二十五年に完成させたが、これはイスラム研究を志す者にとって指南の星として輝いている。昭和三十二年に初来日したネールインド首相は、大川と会見し、インド解放のために戦ったこの先人に敬意を表しようとした。しかし既に病重く命旦夕に迫っていた大川は、この年の暮れに亡くなった。アジアを愛しアジア解放のために生涯を捧げたこの知の巨人の名は、今でもインド国民の胸に、日本の生んだ英雄として燦然と生き続けている。
第二次大戦終結後、七十六年経過した。ソ連崩壊により唯一の超大国として一人勝ちしたアメリカだったが、盤石と思われたその圧倒的な力も揺らぎ始め、アメリカ一極による世界支配体制の構図は、もはや不可能となりつつある。そしてそれと歩調を合わせるかのように、アジア諸国の経済は爆発的な成長を開始し、その膨大な人口とあいまって、アジアは世界最大の市場に成長しつつある。これこそまさに大川周明がかつて夢見た、大東亜共栄圏の理想以外のなにものでもない。
戦後GHQは大川を公職追放に処し、彼の著作を没収、その思想を封殺した。アメリカは世論を塗り替える大川の言論力を恐れたのであろう。
大川がかつて掲げた大アジア主義の理想は、日本の敗戦とともに一時的に頓挫したかのように見えた。だが今の、この現時点の世界状況においてこそ、大川の理想は不死鳥のごとくによみがえり、再評価されるべき時期に来ている。二十一世紀のアジアにおいて大川の思想は、これからもさらに強力な光を放って輝き続けるに違いない。(本書序文より、東京国際大学教授福井雄三氏)