象の記憶 日本のポップ音楽で世界に衝撃を与えたプロデューサー

購入した作品の読み方

あらすじ

後藤象二郎 、川添浩史、原智恵子…
日本文化の世界進出に貢献した一族の末裔もまた、
日本の音楽を世界に広めた男だった。

YMOで社会現象を巻き起こし、
ユーミン、吉田美奈子、ハイ・ファイ・セット、佐藤博など、
いま、世界でシティポップとして評価される音楽を
プロデュースしてきた著者がはじめて語る、破天荒な人生。

革命的なこと、前衛的なこと――
曾祖父は幕末の土佐、父は30年代のパリ、
そして、末裔の象郎は60年代の グリニッジ・ヴィレッジと、
80年代バブルと平成の日本を駆け抜けた。

装画:木村英輝

Praise for Shoro Kawazoe
象郎には、正直、ナンニモしてもらったことがない。
でも、何故かほっておけない奴だ。
川添と聞くと、象ちゃんよりも、父上の川添のパパが蘇る。
“ブラボー"
1965年、日生劇場「オンディーヌ」初日。
川添のパパは、誰よりも先に立ち上がり、喝采をくれた。
1960年、飯倉キャンティの初日、象郎に引っぱっていかれた小娘に、当たり前に椅子を引いて、大人扱いをしてくれる、パパの本当の育ちのよさ。
1964年、カンヌ映画祭、川添のパパの心配りで、飛行機から下りたばかりの“女優"に、大きな花束とフラッシュ。遊び気分が吹っとんだ。東洋から来た、名も無い女優に、喝をくれたのだ。
「人類多しといえど、殊更に我に悪敵はなきものなり。恐れ憚ることなく、心事を丸出しにして飄々と応接すべし」
この言葉のままに生きた、この父と子。
他人と自分をくらべたりせず、心の底から、笑っていろと教えてくれた。
それが川添家の血なのだろう。
――加賀まりこ(女優)

川添さんはスパニッシュ・ギターのアーティストであり、同時に欧米スタイルのショービジネスを日本で展開し、YMOの世界ツアーを仕切った恩人でもあります。その頃の話はいつ聞いても面白く、感心してしまい、そういうことが詰まった本を待っていたので嬉しいことこの上ありません!
――細野晴臣(音楽家)

出鱈目?
それとも啓示?
15歳の私も、六本木の街角で川添さんのマッドなヴァイブスに巻き込まれたひとりです。
いつまでも、そんな存在でいてください。
――松任谷由実(シンガーソングライター)

洋も和も、あらゆるアートに精通し、センスは抜群!
いろいろあったが、なぜか憎めないやつ。
こんな男とはそうそう出会えるもんじゃない。
――ミッキー・カーチス(歌手、俳優)

超絶型破りなこのお方、転んでもただでは起きず、それが底の知れぬ水溜まりであったとしても、絶対にその手の中に世間があっと驚く宝物を掴んで起き上がる、言わずもがなのお方なのです。そのアドレナリンの量と記憶力は他に類を見ず、時代がどう変わろうと一切ブレない品格のある筋金入りの審美眼には、ただひたすら平伏するばかりだ。最後の本だなんて言わないで、「美しさ」の不可思議な成り立ちを、どうかその毒舌で語り続けていただきたい。こんなに極上で素敵な人とは、もう二度と廻り逢えないのだから!
――吉田美奈子(音楽家)

川添さんと私の出会いは、学生から社会へと飛び出すのにいろいろと思案していた時期であり、まさに川添さんは私のその後の人生を決定づけた師匠であります。当時はまだその内容が広く理解されていませんでした「プロデュース」という仕事のイロハをお教えいただきました。その後アルファレコードの立ち上げやYMOに関われたのも川添さんのおかげです。私はYMO以後「デジタル」という分野に進み、現在はインターネットに関わる仕事についておりますが、今でも川添さんから学んだ「