斎門富士男 3件 人気順 新着順 バラナシ河岸 斎門富士男 2011年4月、写真家・齋門富士男は30年ぶりにインド、バラナシのガンガー(ガンジス川)河岸を訪れた。インド中から死を待つ人々が集まるこのヒンドゥー教徒の「死出の地」で、写真家は何も考えずにひたすら写真を撮る日々を過ごし、バラナシの本当の姿を知った。 【齋門富士男 撮影記】 ガンガー河に沿って連なるガートには毎日、夜明けから夜中まで、数えきれない人が群がっている。河に向かい、お祈りをする大勢の人。地べたで眠っていたり、食べている人もいる。ノラ犬も牛も鳥もたくさんいる。ガートの端の方では死者を火葬したり、荼毘に付さず、水葬していたりする。そして、その河の水を浴び、飲み、持ち帰る。ガンガーの水がすべての罪を浄め、よりよい再生を叶えてくれるといわれ、崇められている聖なる河のほとりに佇んで、その空気を吸い、匂いを嗅ぎ、目で見て、浮かぶ言葉といえば「このグチャグチャな感じはやっぱり、すごいなあ」という平凡な感嘆と「インドでワシも考えた」という椎名誠さんの本の題名。さて、ここで、また写真に没頭するエネルギーが湧くのか? 2011年、4月。30年ぶりのバラナシの河岸で、すこしくたびれたオッサンはなんとも心もとない気分で、とりあえずシャッターを押すんです。毎日、毎日、ガートに出かけては写真を撮るんだけど、なんとなくピンとこないというか、集中しないというか、力がこもらないというか...ともかくダラシナイんです。それでも、30年も写真を撮っているから、「ちょっといいな!」という瞬間は見逃しません。ガートの外の迷路のような路地も、なんども行ったり来たりして、夜になるとビールを飲んで、カレーを食べて、眠って朝になる。そしてまたガートにでかけ、その日、目にしたことを撮る。ほとんど頭がからっぽで、あまりなにも考えなくなっ 880円 ハリドワール 斎門富士男 【齋門富士男 撮影記】 バラナシに2週間近く滞在していたら、飽きてきたのでハリドワールというところに行ってみた。デリーまで汽車に13時間あまり乗り、その後ギュウギュウ詰めのバスで6、7時間。遠い!ハリドワールについては、ガンジス河の源流であり、神々の住む山地への入口と観光ガイドブックの乏しい知識だけ。ものぐさというのもあるが、先入観なしの方がストレートに感じることができる気がして、あまり下調べなどはしないのが、いつもです。後でなにかの媒体などで、「へえ、こんなところがあったんだ、残念だなぁ」と少し思う時もあるが、それもまた出会った場所や人が、その旅の縁と思っている。ハリドワールのガートは着いた途端、なにか得体のしれないムンムンとした熱気が迫ってきた。「ここは撮りたいことがあるに違いない」。そういう、ピンとくる場所に出会うと、心が踊り、歩くのも速くなる。広く大きな河を大勢のインド人が取り囲んでいる。そして祈っている。その中に入り込み、人々の顔つきを見ると、街の匂いのするバラナシやデリー、ジャイプールなどで出会った人と違い、土着的な色が濃く、荒々しいパワーを放っている気がした。一番先に見に飛び込んできたのは岸辺に一列にならんでいる、手や足のない、物乞いの男たちや子供。そして、もの売りの女性、サドゥ、寝転がっているおじさん。着飾った女性。インドはどこもかしこも、やっぱり人だらけだなぁ。歩きざまに、ガンガン写真を撮りまくりたいところだけれど、突然、カメラを向けて拒否をされると、周りの人もNOだ。知らない森に迷い込んだ動物のように、慎重にとソロリソロリ進むのが肝心。撮りたい人のそばに座り込み、少し話をしたりして打ち解けたら、両腕に抱きかかえていたカメラをゆっくりと向け、「いいよ」というサインを 880円 道ばたポートレイト 斎門富士男 【齋門富士男 撮影記】 どこを旅しても、気がつくと人を撮っている。すれ違いざまに撮ったり、遠くに見える全体の雰囲気にピンとくると、走って追いかける。どこの誰?何してる人?年齢は?そんなことは、関係ない。とにかく撮って、その後、話すこともあるし、お礼だけ言って通りすぎることもある。フレーミングへの思い込みや、して欲しいポーズも、無い。その人の魅力に服装が含まれる場合は全身を撮るし、顔そのものや目に魅力を感じた時は、寄りまくる。ひとつだけ、近かろうと遠かろうと、相手の目をレンズ越しにとらえたいという思いだけがある。 目は言葉より、おしゃべりだ。その人のいろいろな思いが見えてくる気がするから、こだわる。もちろん、旅で人を撮るというのは、ほとんど一瞬の出来事だから、心の奥底まで写すことは、むずかしい。でも、レンズ越しでの表情の移り変わりや目の中に、その人の弱さや強さや、優しさ。何かと戦っている心、時には邪気や狂気を感じたりすることもある。また、自分の調子がのらない時もあって、なんにも写ってないなぁ、という写真もいっぱいある。そんな写真には、自分のその時の弱さやあやふやさが見えてきて、それもよし、です。いわゆるポートレートといわれる写真とは外れるのかもしれないが、すべての決まり事ナシ。出会った瞬間に感じたまま撮る。それが自分流のポートレート。旅がそれを教えてくれました。今回は、インドのオジサン。デリー、ジャイプール、ジョードブル、バラナシ、リシュケーシュなど、あてもなく一人旅して撮った写真です。インドではやたら「オジサン」が目につく。立派な髭と大きくて深い色の瞳、そして顔に刻まれたシワに引きつけられることが多かった。道を歩いていたり、岸辺に座っていたり、祈っていたり。それだけなのに、なん 880円 1 TOP 電子書籍(本・小説) 斎門富士男