6~7世紀の日本書紀編年の修正 ――大化元年は646年、壬申乱は673年である ――
牧尾一彦
日本書紀(敏達天皇紀以降)の編年の捏造を正す!
日本古代史研究者必読の書
古代大和朝廷は、持統天皇4 年紀(690 年)以前においては現行干支紀年法より1 年引き下げられた古いタイプの旧干支紀年法を公用としていた!
◆古代大和朝廷公用の旧干支紀年法は中国秦王朝公用の干支紀年法である
◆せんぎょく暦は古代韓の辰王朝に伝来した
◆この辰王朝こそ天皇家の祖先である
◆持統4年紀に至るまで公用されていた暦術はせんぎょく暦と同じ四分暦であろう
◆奈良時代に後漢四分暦の用いられていた実例がある
◆太安萬侶墓誌の暦日も後漢四分暦の修正版であろう
◆石神遺跡出土具注暦断簡の暦日も後漢四分暦の修正版で実現できる
◆元興寺伽藍縁起并流記資財帳の本文の干支紀年法は旧干支紀年法である 1,320円